前々回に今年の目標書いてから
2009年10月21日 TCG全般 コメント (8)1週間たちました。
構築が2-2-1 と 3-1 が反映されて23点さがりました。
でもようやく、いくつか持ち歩いていた調整用メタデッキ及び作ってみたデッキの中から
しばらくはコレを使おうと思えるデッキが出来た気がします。
逆に言えばこれで次回1敗以上すると途方に暮れてしまうわけですが。
1900台に戻して今年を締めくくるには次回が重要なようです。
もっともフライデーはドラフトにいくかスタンに行くかまだ未定なので、日曜大会限定で考えると、次の日曜はレガシーなのでグランプリの裏番組であるゲームデイということに。
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上記とは関係あるような、ないような話なのですが、
遊生は基本的にマジックジャンキーです。
そんなの今更言わなくても知ってるわ!っていう方もいると思うんですけど、
マジック中毒といっても2種類いると思うんですよ。
マジックを楽しむ為に遊ぶ人
マジックを勝つ為に競技する人
よく聞く言い方だと、カジュアルとガチってやつでしょうか。
自分は基本的に楽しさ重視の人間なのですが、勝つためのマジックが出来る人になりたいと思い続けています。
その人の性格や本質も関係してくると思うのでなかなかこの思考の違いを変えるのは大変なのですが。
特にグランプリやプロツアーの直後はガチ思考の熱があがります。
そしてしばらくすると楽しさを重視してのデッキ選択や所謂ノリプレイ・手なりプレイが増えてきます。
悪循環・・・
マジックが面白いからいけないんですね(ぉ
話がそれました。
よく「デッキまわそうぜ」とか「練習しよう」という話を聞きます。
僕もお誘いをよく受けます。ありがたいことです。
しかしどうもカジュアルの域を出ることが出来ていないと感じる事があります。
今ふと思い出したのですが、僕のこれまでのマジック生活の中で一時期ガチでやっていたと言える時期が過去にありました。
環境に存在するアーキタイプはすべて作り(同キャラもやるため2個づつ)総当りを行い、最低限としてメイン先手10回後手10回、サイドボードして先手20回後手20回。
微調整を行ってカードを入れ替えたらまた最初から。
それをすべてノートに記録。
デッキまわそうと言われても断りたい・嫌になるほどに。
それでも続けるわけですが。
そこまでやっても最低限でしかないと思っていたのですから、いま考えると凄い事をしていたんだなぁと思います。
いまの自分にはとてもムリ。
じゃあその頃といまと何が違うんだろう?
※ チームメイト
いま現在もマジックをする友人はたくさんいます。
でも当時はチームとして仲間内の半数以上が本気で勝ちたいと思っていた。
全員が時間を合わせることは不可能ですが、仲間内の誰かしらは当時練習場所となっていた僕の家に1日平均3~5時間はいまいた。
電話で「いま誰かいる?」と聞かれると大抵すでに僕含めて3人ぐらいはいたものです。
その仲間の数、全員揃うとで10人前後。
※ 意識の違い
当時の仲間のうち半数以上が質の濃い練習を求めていた。
これは当時チーム活動というのが流行していたのも影響しているかもしれない。
チーム宗男・AQUASOUL・チームジョン・東海七本槍、他多数。
それらの有名チームを抜きたいと思っていた。
当然そんなにあまくはなく思うだけで終わったわけだが・・・orz
いまだから昔話・笑い話として話せるが、当時僕らの仲間内(半田勢と呼ばれていた)は名古屋勢(尋さんを始め塩津さんとかKTOとか)を抜こうと必死になっていた。
愛知県という身近でダントツに強かったからだ。
いまとなっては顔を合わせれば挨拶をして談笑したりもする仲。
でも当時はお互い面識もなく、ましてや向こうはこっちの人間なんて「顔はみたことあるかも」という次元である。
結局その後、尋さんはAPACでラストエンペラーとなり、KTOは日本チャンプなんていう展開で格の違いを見せ付けられたのもいい思い出である。
いま思えば「目標でありつづけてくれてありがとうございます」と言いたい。
実際に大会にいけば顔を合わせるというのも大きかった。
例えばテレビの中の人が目標じゃこうはいかない。
※ 時間の問題
当時はしたは高校生~うえは20代半ばぐらいまでで集まっていた。
夕方すぎれば時間はいくらでもあった時期だ。
平日でも1日3時間はマジックをさわれた。
休みの日は半日(6時間以上)さわっていた事を考えると
1ヶ月で最低100時間以上マジックをしていたことになる。
いまはムリだ。
日曜などは大会会場などで8時間ぐらいやってることもあるだろうが、平日は限界がある。
昔は地元なんだからチャリや車で10分~30もあれば集合できるのだから平日でもさわれたが、今現在の友人はみな住む場所さまざまである。
※ 場所の問題
当時がなぜ僕の家が集会場になったかはよく覚えていない。
でも1人暮らしで出入りの自由がきいたし部屋の広さもそこそこ(8畳2部屋)だった。
在宅中はかなりの頻度で人が来るので最初から鍵は開いていたし、人によっては合鍵をもっている奴もいた。
さながらデュエルスペースのある店状態だ。
駅前で高校生連中の通学路に近く、マジックを取り扱っている店がそんなに離れていない事もよかったのかもしれない。
すぐ思いつくだけでもこれだけの違いがある。
他にもたくさんあるだろう。
ここまでの事をまたするのは2度と出来ないだろう。
出来る範囲での努力は惜しまないつもりだけれども。
構築が2-2-1 と 3-1 が反映されて23点さがりました。
でもようやく、いくつか持ち歩いていた調整用メタデッキ及び作ってみたデッキの中から
しばらくはコレを使おうと思えるデッキが出来た気がします。
逆に言えばこれで次回1敗以上すると途方に暮れてしまうわけですが。
1900台に戻して今年を締めくくるには次回が重要なようです。
もっともフライデーはドラフトにいくかスタンに行くかまだ未定なので、日曜大会限定で考えると、次の日曜はレガシーなのでグランプリの裏番組であるゲームデイということに。
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上記とは関係あるような、ないような話なのですが、
遊生は基本的にマジックジャンキーです。
そんなの今更言わなくても知ってるわ!っていう方もいると思うんですけど、
マジック中毒といっても2種類いると思うんですよ。
マジックを楽しむ為に遊ぶ人
マジックを勝つ為に競技する人
よく聞く言い方だと、カジュアルとガチってやつでしょうか。
自分は基本的に楽しさ重視の人間なのですが、勝つためのマジックが出来る人になりたいと思い続けています。
その人の性格や本質も関係してくると思うのでなかなかこの思考の違いを変えるのは大変なのですが。
特にグランプリやプロツアーの直後はガチ思考の熱があがります。
そしてしばらくすると楽しさを重視してのデッキ選択や所謂ノリプレイ・手なりプレイが増えてきます。
悪循環・・・
マジックが面白いからいけないんですね(ぉ
話がそれました。
よく「デッキまわそうぜ」とか「練習しよう」という話を聞きます。
僕もお誘いをよく受けます。ありがたいことです。
しかしどうもカジュアルの域を出ることが出来ていないと感じる事があります。
今ふと思い出したのですが、僕のこれまでのマジック生活の中で一時期ガチでやっていたと言える時期が過去にありました。
環境に存在するアーキタイプはすべて作り(同キャラもやるため2個づつ)総当りを行い、最低限としてメイン先手10回後手10回、サイドボードして先手20回後手20回。
微調整を行ってカードを入れ替えたらまた最初から。
それをすべてノートに記録。
デッキまわそうと言われても断りたい・嫌になるほどに。
それでも続けるわけですが。
そこまでやっても最低限でしかないと思っていたのですから、いま考えると凄い事をしていたんだなぁと思います。
いまの自分にはとてもムリ。
じゃあその頃といまと何が違うんだろう?
※ チームメイト
いま現在もマジックをする友人はたくさんいます。
でも当時はチームとして仲間内の半数以上が本気で勝ちたいと思っていた。
全員が時間を合わせることは不可能ですが、仲間内の誰かしらは当時練習場所となっていた僕の家に1日平均3~5時間はいまいた。
電話で「いま誰かいる?」と聞かれると大抵すでに僕含めて3人ぐらいはいたものです。
その仲間の数、全員揃うとで10人前後。
※ 意識の違い
当時の仲間のうち半数以上が質の濃い練習を求めていた。
これは当時チーム活動というのが流行していたのも影響しているかもしれない。
チーム宗男・AQUASOUL・チームジョン・東海七本槍、他多数。
それらの有名チームを抜きたいと思っていた。
当然そんなにあまくはなく思うだけで終わったわけだが・・・orz
いまだから昔話・笑い話として話せるが、当時僕らの仲間内(半田勢と呼ばれていた)は名古屋勢(尋さんを始め塩津さんとかKTOとか)を抜こうと必死になっていた。
愛知県という身近でダントツに強かったからだ。
いまとなっては顔を合わせれば挨拶をして談笑したりもする仲。
でも当時はお互い面識もなく、ましてや向こうはこっちの人間なんて「顔はみたことあるかも」という次元である。
結局その後、尋さんはAPACでラストエンペラーとなり、KTOは日本チャンプなんていう展開で格の違いを見せ付けられたのもいい思い出である。
いま思えば「目標でありつづけてくれてありがとうございます」と言いたい。
実際に大会にいけば顔を合わせるというのも大きかった。
例えばテレビの中の人が目標じゃこうはいかない。
※ 時間の問題
当時はしたは高校生~うえは20代半ばぐらいまでで集まっていた。
夕方すぎれば時間はいくらでもあった時期だ。
平日でも1日3時間はマジックをさわれた。
休みの日は半日(6時間以上)さわっていた事を考えると
1ヶ月で最低100時間以上マジックをしていたことになる。
いまはムリだ。
日曜などは大会会場などで8時間ぐらいやってることもあるだろうが、平日は限界がある。
昔は地元なんだからチャリや車で10分~30もあれば集合できるのだから平日でもさわれたが、今現在の友人はみな住む場所さまざまである。
※ 場所の問題
当時がなぜ僕の家が集会場になったかはよく覚えていない。
でも1人暮らしで出入りの自由がきいたし部屋の広さもそこそこ(8畳2部屋)だった。
在宅中はかなりの頻度で人が来るので最初から鍵は開いていたし、人によっては合鍵をもっている奴もいた。
さながらデュエルスペースのある店状態だ。
駅前で高校生連中の通学路に近く、マジックを取り扱っている店がそんなに離れていない事もよかったのかもしれない。
すぐ思いつくだけでもこれだけの違いがある。
他にもたくさんあるだろう。
ここまでの事をまたするのは2度と出来ないだろう。
出来る範囲での努力は惜しまないつもりだけれども。
コメント
さんきゅ。
俺なんかからすると時期的、地域的な関係で尋さんや塩津さんていうのは本の中の人。
じーれんやうえだちん、一時期の遊生くんたちが遊生くんの言うところの名古屋勢のポジションだった。
ウチも小さなチーム作って遊んでたけどやっぱり環境の変化でバラけてしまった。練習場所、仲間、大会がないとモチベーションは落ちる一方だと思った。
話し変わって、カジュアルとガチに関してですが、やっぱり環境の変化によって自分のありようも変化したと思っています。以前は近隣のPTQ&GPTは当然の如く参加し、GPともなれば多少遠くても遠征していましたが、今ではそのほとんどに参加しなくなってしまいました。しかし、今でも「勝つマジック」はしたいと思っていますし、時間があるのならばまたPTに出てみたいとさえ思います。まあ、そんなに甘い世界でないのは重々承知なのですけどねw
理想と現実の両立は難しいね。
マジックは1人で出来るゲームじゃないしね。
>AKKA氏
正直この1900維持という目標は自分も出来ない気がしています。
でも目標は出来そうで出来ないくらいがちょうどいいと思いました。
マジックのスタイルは人それぞれに理想の想いと現実の環境があるので、
それぞれに合わせた形に変化していくのは当然ですよね。
わかってはいるんですが、理想と現実の違いをふと考えた時になんともいえないジレンマを感じてしまいます。
PT出てみたいですね。
甘くないのは当然ですが、だからこそ出てみたい。
ただ僕は諸事情により国外に参加できないのでチャンスが極端に少ないですが・・・。
PTQは過去に2回だけ決勝に座らせてもらったことがありますが、結局ドロップして終了。
もったいないオバケでも出そうですねw
俺にはそんな意識はあんまりなかったけど、あの頃のマジックが一番面白かったよね。それは間違いない
確かにあの頃は面白かった。
なにをしても楽しかった。
てか、みんな歳くったよねwwww